花の色と青い煙草

ダンス・ステップ・スラップスティック

太陽レポート2

かくして僕は引っ越すことになった。もう帰らなくていいように部屋の全てを片付けて持ってゆくもの、そうでないものを選ぶわけだけれど。

いろいろと膨れ上がった部屋の中からさまざまなものが出てくる。もう動かない目覚まし時計、誰かが忘れたイヤリング、壊れてしまったジョークグッズ。

どれだけの思い出があってもその引き出しを開けられるのは鍵、象徴が必要なのだけれど、そういう鍵に囲まれているといずれは埋もれてしまう。

悩ましいね、次の生活へ持っていくのに一番困るのはこういった象徴の数々なのだけれど、小さな部屋へは持ってゆけない。

写真で残すべきなんでしょうね。でもそういうものの一つ一つが愛おしい。いつか小さな家を借りて過ごす日を楽しみにしている。

 

この一週間やったことといえばゲームと入院のあれこれ、ちょっとしたドライブ、それから酒飲み。

ラーメンも作った。自分で言うのもどうかと思うけど心から旨いと言えるものが出来た。鴨と昆布と鰹節でつくったモダンな、パツッとした細麺がよく似合うような醤油ラーメンだ。親にはとてもウケたので嬉しい。

弟たちもいるからパンチのあるものを作っても楽しく食べてもらえるのはすごい嬉しくて、ずっと磨いてきた技術で家族と楽しんでいる。

 

いい日々が続くように祈っている。

太陽レポート1

きっかけは祖母の入院が決まったことだった。病名は大腸癌。毎日元気に過ごしているとはいえ御年80を超える身体なんだな、そりゃ癌の一つや二つくらい見つかるよな、と思った。
 
ただ、術後の体力のこともあるし、ということで生活リズムがなかなか合わない私は大忙しで荷物をまとめ祖父母の家を離れ、親の住むこの実家へと舞い戻ることになった。同じ市内だからさほど困ることはなく、いつだって荷物を取りに行けるからと引っ越しはゆっくりとしたものだ。
そして実家なら食材もスパイスもハーブもそれなりにそろっているから遊ぶのに困ることはない。酒だって自分で買うことはしばらくなさそうだし、唯一困ることはタバコを吸えないことだけれど、それならそれで今の間に貯金をしようかな、とかぼんやりと考えている。ただ、せっかく籠城しようと一緒に蓄えた食材やら、あるいは一緒にやる予定だったゲームだとか、見たかった映画だとか、そんな予定が全部なくなってしまって恋人さんには申し訳ないと思ってる。
 
実家に帰るといつも困るのがシャンプーの銘柄で、なぜか恋人が普段使っているものが置いてある。よく売られている市販品の一つだからそれ自体はただの偶然なのだけれど、この日々に心を打ち砕かれるには十分に強い。気軽に会いたいというのもはばかられる気がして、夜な夜なゲームをしている。(なんとかなるといいな)
 
暗い話もほどほどにしよう、何度も自分の中で反芻してしまう。ふだんならなんてことはない今まで通りのことですら悲しくなる。それは不健康だし、考えすぎだ。これは抑圧に使われる言葉としてではなく自分自身にそう思う。
 
最近強く惹かれている曲の話をしたい。ここ一年くらいなんの因果かヒップホップなんかを聴き始めて、アンダーグラウンドからオーバーグラウンドまで反復横跳びしている。まあこのパンチラインはADRENALINE 2019 FINALからのサンプリングなんだけど、今日はそっちの話はしない。そことは少し離れた文化、Lo-Fi Hip Hopの話だ。
アーティストはNujabes、最近渋谷でスクランブルをジャックしたのは記憶に新しいと思う。あのころはまだぜんぜん出かけることも普通だったな、これから来る大きな自粛なんてまだまだ想像がつかなかった二月末のこと。
僕は昔っからロックばかりを聴いていたからこういったジャンルにはすっかり疎くて、たまにジャズから少し離れたところでこういう音楽に触れるくらいだった。聴き心地がよくて、生活の邪魔をしない。そういう理由で聴くのも申し訳ない気がするけれど、その中にLuv(sic)というシリーズ物の曲があって。
曲のテーマはこうだ、歌手は音楽の女神に恋をしていて、手紙をしたためている。愛について、出会いと別れと再会を歌う。
トラックはポエトリー寄りの曲なんだけど、英語なのでライムもきちんと落としてるし、フロウも心地いい。
このシリーズをこの一週間とにかく馬鹿みたいに聴き続けている、もし5年後に聴いたらたぶんいろいろ思い出して苦い顔をしそうなくらいには聴きこんでいる。
もし聴いたなら感想をくれたらうれしいな、どうにか晴れるといい、エイメン。

週報

世界がその姿を変えて二ヶ月が経つ。

ずっと家にいる日々は緩急がなくて、どうにも漠然と過ごしてしまう。それでもまあ好きな人と過ごせているならそれはそれでいいとも思っていたけれど、家族が体調を崩してそうも言ってられなくなった。

 

そうなると自分の部屋でずっとすごすことになるんだけれど、一人でずっと過ごして画面をにらむというのは思考を切る瞬間がなくなる。誰かがいればなんてことはない会話で断ち切れる観念奔逸も一人ならどこまでも走り放題で、煮詰まった不安はあっけなく破裂する。

なにをやるにしてもゆっくりしか動けないこの頃だ、いままでの速度だとどうしてもメンタルとフィジカルが釣り合わなくもなるんだろう。

 

それでも何があったか、なにを思ったかだけは忘れたくないので書き残します。

公開は毎週月曜日、題は太陽レポートで。

トムとジェリー、あるいは卒業について。

かつてのモラトリアムに捧ぐ。

 

さいきん巷では恋愛の始め方について、あるいはそれの続け方についての話題で持ちきりになっている。ここで言う巷、っていうのは僕のまわりのほんの100人にも満たない数で、実際に話題にしてるのはその1割もいない。つまりその話題で持ちきりっていうのはおかしな話で、僕自身が拘泥しているからそう見えてしまうのでしょう。
 
確かこの話題の始まりは(いきなり曖昧で申し訳ない。もしニュアンスの違う話だとしたら加筆はしたいと思う。)
男性が女性と距離を詰めるとき、これから仲良くなる友人として扱ってほしい、個人を見てほしいという話だったように思う。
それにたいして、男友達というのはこれだけ礼を欠く付き合いだとあてこするような話で返してそれからは皆の知る通りなのだけれど。
 
かくいう僕もやんややんやと二日ぐらい盛り上がってあれこれと言ったし、それでもまだまだ足りない。一つ一つについてしゃべればきりがないくらいだけれど、しゃべったとして別に分かってる人間との愚痴にしかならない気もしている。この手の話は毎月のように話題にのぼりついぞ絶えた試しはないのだから。

 

ただ、各々がいつもの話をして、いつものように納得する景色ばかりを眺めている。その中で、いくつかは書き残しておきたかった。これはあくまで僕が思ったことの備忘録なので僕が思ったようにいつもの話を書く。

もし、あなたの話をしたくなったらあなたの場所で、あなたが思うように、あなたのいつもの話をしてくれたらいい。みんなのいつもの話がどのように繋がっていくかはすこし楽しみにしている。

 

 

閑話休題、まず前提の話をしよう。

これからの話は注釈のあるところ以外では「男性目線の」「男と女の組み合わせがあれば恋愛しか浮かばない価値観」というのを前提に進めようと思う。

男と女の話をするんだ、ひとまずはそういうものとする。それはとても釈然としないことなのだけれど、そうしないと進まない話もある。

そしてこれはその距離を詰めようとするときの話だ、というのも忘れないでほしい。もう十分に親しい人との間ではある程度フランクに付き合うこともあるでしょう。それこそ話題になった「男友達」のような関係性の夫婦だっていたりするとは思う。

ただ、そこに至るまでの過程の話だと僕は思った。だからそういう話として書く。

こんなところか。なけなしの留保を置かせてほしい。

 

まず初めにあったのは女性への扱いの話だった、きっかけを見つけることは出来なかったのだけれど、女性を男友達のように扱ってほしいというのが一つ目の話題だったと思う。

 

そういう話を聞いて思い浮かべずにいられないのは女性を「女子」とか「女」にしてしまう文化で。それはこういう言葉でイメージするほどおおげさなものじゃない。たとえば女性は居酒屋に連れていかれるのを望まない、という話を間に受けてしまうのもその一つだと思う。そうやっていろいろなイメージが独り歩きした先にあるのが「女子」だとか「女」になっていく。

たしかに多数派だとか少数派っていうのはあるかもしれない。イメージどおりの好みやこだわりを持つ人の方が多い、なんてこともあるだろう。二択なら半分以上は正解になるかもしれない。でも、そもそも合ってるか分からない解答を書いて出さなくたっていいはずなんだ。なぜならその人が居酒屋が好きかどうかを聞くことだってできるんだから。その人の話を聞こう、その人を見よう。

 

さてそういった「女性」として扱うのはやめてほしい、個人として友人のように扱ってほしい、って話に対して「男友達」として扱うとはどういうことか書き連ねたツイートがアンサーとして流れたことは周知のことかと思います。

あの内容に関しては言いたいことが尽きないのですが、ひとまずはさきほどの「女性」の対としての「男友達」について。

 

結局のところ、男友達というのも「女性」と同じようにイメージが独り歩きしたものだったんだと思う。ただ、それを自ら演じる分説得力を持ってしまった。そういう話をしたかったんじゃなかったはずだ。友人としてならちゃんと見てくれると思ったのに、実際は友人のことすら「男友達とはこういうものだ」と決めつけている。、そういう決まった役割を、男役、女役だけがある価値観の中でやる。

 

男性にも女性にもそうやって扱っていてどちらかになれば逃げられる話じゃなかった。それはまあ、どうしようもないよ。せめてどのラーメン屋がいいかくらいは聞いたらどうかな、とか。

 

結局のところちゃんとその個人とちゃんとコミュニケーション取ろうよ、ってことに尽きる。その結果として距離が縮まるのであって、知らないことをイメージの押しつけで対処してしまうとかっていうのは理解からはほど遠い。男友達だから大丈夫だろうという考えでそういったすれ違いを見ないことにしてやり過ごしてはいないだろうか?

 

僕だって最初に書いたような十分な信頼関係の中のフランクさは大好きだ。もちろん踏み外してしまえば無礼だから気を遣う。けれど、気を遣うところが少なくて済む、というのはとても楽だ。

ただこれは今まで気を遣ってきて理解している相手だからできることで、べつに男友達だからすぐにできるものじゃない。そこに性別は関係ないとも思う。

 

これは恋愛にも言えることで。イメージだとか演出だとか、そうやって化け物みたいに膨れ上がった「恋愛」を当てはめようとする。それな、もう疲れてるんだ。そりゃ好きな人といいレストランに行きたい時もあるでしょう、でも恋愛とは「いいレストランに行くこと」じゃなかったはずなんだよな。

 

 

誰がその化け物を作ったか、誰が倒すべきなのかなんて話はここではしない。ただ、一緒にその化け物を倒しにいこう、と言えたら素敵だと思う。

あけまして。

人は幸せになると言葉を喪うというのはあながち間違いではないのかもしれない。

あ、いまさらですがおめでとうございます。今年も、です。

 

いつか読み返す日のための雑記です。

 

なんとなく歌を口ずさんでいたらその曲を教えてくれたかつての友人のことを思い出してしまった。かつて、と但し書きがあるのはそういうことで、今はなにをしているのかは知らない。恋愛だの性愛だのに回収されてしまった友情というのはどうしようもないな。まあ、試してしまった僕が悪かったとも思うけれど。

 

これからの自分を大切にするために、自尊心を失ってしまうような縁を切っていい、大事なものを選んでいいと知って今があるけれど、全てが上手くいった日のことを想う。ここまで来るのが長かった。選ぶ、ということ、作為で以て均衡を壊してしまうことにどうしたって強い抵抗があって、誰も得をしない誠実さで先延ばしにできないかと考えたりもしたけれど、その局面にいる時はもう手遅れなんですね。壊しておいて身勝手だとは知っている。だからこそ絶対に手は伸ばさないけれど。

 

10年後の夏はきっと来るだろう、そう話して2年。想像より早い夏の気配と、それでも想像の外にある夏に。僕は人に期待してしまう性分だけど、悲しみがあったっていいだろうか。

帰り道と永遠。

推敲なしに書いた昔の下書きを読んで今もそう変わらない、のに解釈だけはすっかり変わって意味も違えたのでその道標に遺します。

 

ふととても寂しくなるようなことを考えてそれでものすごく寂しくなってしまって、それからその日はすこし上の空だった。なんてことはない、ほんとうになんてことはないんだけど、嘗て足繁く通った都内のマンションだとか、ある地方都市のローソンだとか、私の脚は、目は、景色を覚えている。そこには誰かがいて、各々の生活によってその景色を見ることというのはなくなって、だから今走っているこの道もいずれそうやって自分の年齢とともにあの頃の身体の延長線と刻まれるのだろうか、今ではなくなるのだろうか。ただ無性に意味もなく寂しくなったんだよね。全部なにもなくなっちゃったりすることを想起したのかもしれないし、でもそうやって意味のある場所を増やしていくのは、なんだか生だなと思ったし、悪くないとも思えていたし、よくわかんないや。

 
だからはやく70代の品のある老人になって街の中に記憶を拾いにいきたい、とか思ったけどそれじゃダメなんだ!今を、私は今に生を、生が、なきゃ、だめ、なんだ。今をめちゃくちゃちゃんと生きてるから記憶に残るんだし物語にできるんだしそれならなんていうか、ぐっとこの五体をここに引き寄せて、思考を精神をそこに収めて、それで笑っていきてえなあ、それで、そうしようと生きてた一年なら絶対忘れられない気がする。あのころ社会人一年目でよく分かんなくてとにかく右往左往しながら戸惑うように生きてた一年が、そしてその間に何度も繰り返し走った道とか、これから何があってもたぶん振り返って思い出すことになる、あの頃は若かったとか言うのかもしれないし、みたいなことを考えてたらもうね、滂沱、あはは。
 
私はたぶんこうやって書いた想いを、情緒を、感覚を、忘れてしまえるのかもしれない。その事に全力で抵抗していたけれど、そして君は忘れて生きてゆけるとの言葉に全部全部悲しんでいたけれど、忘れてしまった記憶たちは確かに両手じゃ抱えきれないほどあった。
 
10年後の晴れた日に夏の日差しとぬるいビールの庭先、そこでこういうことを考えていたり思っていたことを答え合わせして、忘れていたこと気づかなかったこと隠していたことをあっけらかんと喋って、水に流せないそれをもう切り離してしまえる日が来るといい。
分からなかったことがすべて分かるといい。
 
時間だけが解決してくれることは多く、そしていま私はそのことが分からなくてもどかしい。

撓垂れる。

どうしても僕らは老いる、よはふける、よはくへる、そうびっしりと黒。

暗くしよ、と白熱灯。冷たさがポツリポツリと初めに戻す。

雨の音なら船を漕ぐ。ふらついた舵、海に昨日の憂鬱が波。

まだ青い春の明け方、走り去る左ハンドルにはクラクション。

誰だろう、呼びかけるのは。ただ癖で煙草を咥え生返事する。

 

どうしても冷たくなって雨の音、春の明け方煙草を咥え。