花の色と青い煙草

ダンス・ステップ・スラップスティック

帰り道と永遠。

推敲なしに書いた昔の下書きを読んで今もそう変わらない、のに解釈だけはすっかり変わって意味も違えたのでその道標に遺します。

 

ふととても寂しくなるようなことを考えてそれでものすごく寂しくなってしまって、それからその日はすこし上の空だった。なんてことはない、ほんとうになんてことはないんだけど、嘗て足繁く通った都内のマンションだとか、ある地方都市のローソンだとか、私の脚は、目は、景色を覚えている。そこには誰かがいて、各々の生活によってその景色を見ることというのはなくなって、だから今走っているこの道もいずれそうやって自分の年齢とともにあの頃の身体の延長線と刻まれるのだろうか、今ではなくなるのだろうか。ただ無性に意味もなく寂しくなったんだよね。全部なにもなくなっちゃったりすることを想起したのかもしれないし、でもそうやって意味のある場所を増やしていくのは、なんだか生だなと思ったし、悪くないとも思えていたし、よくわかんないや。

 
だからはやく70代の品のある老人になって街の中に記憶を拾いにいきたい、とか思ったけどそれじゃダメなんだ!今を、私は今に生を、生が、なきゃ、だめ、なんだ。今をめちゃくちゃちゃんと生きてるから記憶に残るんだし物語にできるんだしそれならなんていうか、ぐっとこの五体をここに引き寄せて、思考を精神をそこに収めて、それで笑っていきてえなあ、それで、そうしようと生きてた一年なら絶対忘れられない気がする。あのころ社会人一年目でよく分かんなくてとにかく右往左往しながら戸惑うように生きてた一年が、そしてその間に何度も繰り返し走った道とか、これから何があってもたぶん振り返って思い出すことになる、あの頃は若かったとか言うのかもしれないし、みたいなことを考えてたらもうね、滂沱、あはは。
 
私はたぶんこうやって書いた想いを、情緒を、感覚を、忘れてしまえるのかもしれない。その事に全力で抵抗していたけれど、そして君は忘れて生きてゆけるとの言葉に全部全部悲しんでいたけれど、忘れてしまった記憶たちは確かに両手じゃ抱えきれないほどあった。
 
10年後の晴れた日に夏の日差しとぬるいビールの庭先、そこでこういうことを考えていたり思っていたことを答え合わせして、忘れていたこと気づかなかったこと隠していたことをあっけらかんと喋って、水に流せないそれをもう切り離してしまえる日が来るといい。
分からなかったことがすべて分かるといい。
 
時間だけが解決してくれることは多く、そしていま私はそのことが分からなくてもどかしい。