花の色と青い煙草

ダンス・ステップ・スラップスティック

隠芽、因果。

 ねむの木に手が届くまで走り書きです。推敲も酔狂もない。
 
 起。
 ずっと前にいただいた種に水をあげていた。どんな芽が、どんな葉が、どんな花を、どんな実を、いつかの姿に思いをはせながらすごしていたのですけれど今年はよく芽が出る。今まで積み重ねてきた数年はどうだった、あのやり取りはどうだった、あの日の思い出はどうだった。どれも意味のあるものだったはず。それからの今年というものはまったく落ち着きというものがなく、喜怒哀楽が日々入り乱れるようなことばかり続いている。厄年、というのは迷信なのでしょう。けれど梅雨が終われば今度は台風と恵みの雨も少々気が荒い。四季にあふれている、思うことは数多くあれどどれも言葉にはならない。
 
 承。
 この人とはずっと友達としてすごせるだろうと思っていた人がいた。さよならくらい告げておけばよかっただろうか、いまさらになってそんなことを思ったりする。もう会うつもりもないだなんて言えずに、ただ何を喋っても伝わりそうにないから勝手に誤解していてほしいと噤んだのはよくなかったのかもしれない。黙ったまま見送った6月の改札を忘れることはなさそうだ。(意外とすぐに忘れてしまうのかもしれない、忘れてゆけるだろう、どれも本気で思っていて、どれも等しく信じてはいない。)
 
 転。
 映画を見に行った。ティーンの出てくる映画はいずれ来る大人を悲劇としか扱わない。大人になることは死ぬことだ、だなんていうけれど僕らはもう大人で、死んだことにされるのが心底たまらない。そしてそのメッセージをこめるのも、描くのもまた大人なんだ。なんだってそんなことばっかり言うんだ、大人や社会やいろんなものを死と呼んだあの頃の僕らに今殺されようとしていて、それに対して何も分かってないのは君たちなんだとやり合っている。死んでなんかいないし死んだことにしないでくれ、同じ姿のままだというのになぜ、それだけの話なのかもしれない。
 
 結。
 最終電車を逃した夜、始発電車を待つカラオケルーム。女王蜂の始発を歌っていた。けれどよくできた出来事があるわけでもない僕らには劇的な別れが来るわけでもなく運命に引き裂かれたりだとかすることもなく、一眠りしたらワイシャツとスラックスに着替えて働いている。