花の色と青い煙草

ダンス・ステップ・スラップスティック

鏡写しの会話。

誰かと喋っていて、正しく人と会話できているのだろうか、と不安になることがある。正しい会話、というものがそもそもとても怪しいものではあるのだけれど。

誰かと会話するってことはここに私がいて、あなたがいて、私はあなたに喋って、あなたは私に喋ることになるんだけど、それができないということがある。
どちらかが相手じゃない人と喋り出したらもう会話は成り立たない。
2人で会話していてそんなことが起きるのか、と思うけれどそれなりによくあることだった。

たとえば。

人は誰しも彼しも思い込みを持つ。(これ自体が思い込みかもしれないことはひとまず置いておいて。)
その思い込みの中で自分が関わることのイメージ、たとえば「誰々はこういう人だ。」だとか、そんなものを自分の中に積み上げていく。
でもそれは自分が切り出したその何かのイメージであって、その何かそのものじゃないことも往々にしてある。
だから思い込みだよ、だなんて訂正していければいいのだけれど、これが人同士ともなるととても面倒で、もうクレイジーケンバンドのように叫びたくなるし、俺の話を聞け、ってなる。

そう、会話してる相手がその思い込みを相手に喋りだす、とか。
そうなれば目の前にいる私はその人にとってどうでもいい存在になるし、思い込みの中に住んでる私の虚像とひたすら会話をしちゃう。それって自問自答の堂々巡りになって、ほんとはその思い込みを解くのが会話のはずなのに、拍車をかけてしまう。

ねえ、あなたは誰と喋ってるの?本物はここで喋ってる私だよ。

きちんとその人が言ったこと、やったこと、感情、それらに目を向けずにイメージで語られても、そこに私はいないし、ともすればそれは鏡写しで喋ってるんだろうね。
その鏡を割った先にその人はいるよ、割って、喋って、鏡にいたのは自分かもしれないと気付いていければ。

正しく人と会話することってとても難しいのかもしれない。