花の色と青い煙草

ダンス・ステップ・スラップスティック

報われようぜ。

報われようぜって叫びたいのよ、いろいろあったりするし、悲しかったり嬉しかったりいろいろあるけれど、報われてもいいんじゃないかなって。



訳もわからないまま最初の一年みたいなものを通りすぎて、最後にこの曲が残って、報われようぜって歌ってる。
いろいろあったよな、それでさ、まあなんていうか、お疲れさま、私はこうだった、あなたはどうだった?みたいなさ。

そんなこと話しながら、報われようって言いたい。



大人の住処。

夜にしか生きることができなくなってるのかもしれない。

地元に鳴り響く寺の鐘で夕方と知り、急いで家に帰る。あの頃の私にとって暮れ行く空はその日の終わりを意味してた、ように覚えてる。
それはありふれた日常だった。



そんな日常からは遠く、今。

夜が当たり前になっていた。
歌を聴けば夜を歌ってるし、大切な人と言葉を交わすのも夜だし、日が暮れてからやっと息が出来るようになっていた。
草木も眠る丑三つ時なんていってた時間と仲良しだし、朝日を眺めることもあった。



夜を満たすものは際限なく増えていくのにその夜で満ちることはないかもね。

でも、夜を探している。


在る朝日。

旅をしていた時の話。
私はある人に会った。名前も、仕事も、何も知らないその場限りの出会い。
その出会いは偶然が生んだもので、再現なんて出来ないもの、けれどとても大切に思っている。
彼はこんな話を初対面の私に続けてくれた。

「みんな何かをするたびにあまりにも急ぎすぎると思うんだ。
たとえば僕の友人は何かをしてはすぐに意味がなかったと嘆く。でも、それは違うと思う。

何かをして、その意味が分かるのは少なくとも10年はかかると思うんだ。それが良かったのか、悪かったのか、それもあるだろう、それだけではない。それで何を得られたかだなんて、10年経って、得られたものがある自分に気付いて、その行動の意味を知るんだ。

だからね、判断を急いではいけないよ。その行動をしたこと、それだけを心に留めておくんだ。いつかきっと思い出して、自分のものになる。

出来るだけ多くのことをして、そのことをありのままに覚えているといいと思うんだ。良くも悪くもないんだよ、行動が意味を持つこともある。」

うろ覚えながらもその言葉は私にきちんと残っていた。
その人はゆっくり絞り出すように、そんなことを教えてくれたのだった。

「そういえば君、喫煙者と言ってたのに吸わなかったね。」
「あまりにも話が楽しくて。良い出会いになってよかったです。」
「僕もそう思う。もう着くけれど一服しよう。」

そうして、喫煙所に向かって、彼がくれたタバコを吸いながら朝日を眺めたこと、彼がくれた温かい飲み物が染み渡ったこと、多分忘れられないと思う。

尊い朝だった。二度とない出会いだった。

その会話をあと10年経って、もう一度噛みしめる事は。

鏡写しの会話。

誰かと喋っていて、正しく人と会話できているのだろうか、と不安になることがある。正しい会話、というものがそもそもとても怪しいものではあるのだけれど。

誰かと会話するってことはここに私がいて、あなたがいて、私はあなたに喋って、あなたは私に喋ることになるんだけど、それができないということがある。
どちらかが相手じゃない人と喋り出したらもう会話は成り立たない。
2人で会話していてそんなことが起きるのか、と思うけれどそれなりによくあることだった。

たとえば。

人は誰しも彼しも思い込みを持つ。(これ自体が思い込みかもしれないことはひとまず置いておいて。)
その思い込みの中で自分が関わることのイメージ、たとえば「誰々はこういう人だ。」だとか、そんなものを自分の中に積み上げていく。
でもそれは自分が切り出したその何かのイメージであって、その何かそのものじゃないことも往々にしてある。
だから思い込みだよ、だなんて訂正していければいいのだけれど、これが人同士ともなるととても面倒で、もうクレイジーケンバンドのように叫びたくなるし、俺の話を聞け、ってなる。

そう、会話してる相手がその思い込みを相手に喋りだす、とか。
そうなれば目の前にいる私はその人にとってどうでもいい存在になるし、思い込みの中に住んでる私の虚像とひたすら会話をしちゃう。それって自問自答の堂々巡りになって、ほんとはその思い込みを解くのが会話のはずなのに、拍車をかけてしまう。

ねえ、あなたは誰と喋ってるの?本物はここで喋ってる私だよ。

きちんとその人が言ったこと、やったこと、感情、それらに目を向けずにイメージで語られても、そこに私はいないし、ともすればそれは鏡写しで喋ってるんだろうね。
その鏡を割った先にその人はいるよ、割って、喋って、鏡にいたのは自分かもしれないと気付いていければ。

正しく人と会話することってとても難しいのかもしれない。

恩師の話。

私がまだ学生で、世界の全てはこの手の中にあったと驕り高ぶっていたころのお話をしましょう。

当時、私は美術系の学校にいて、学生をしていた。まだ17か、その辺りだった。

当時の学科長と話していて、なぜそんな話になったのかは思い出せない。ざっくばらんと話していて、その会話の中でスノッブ的に知識をひけらかす嫌な奴になっていた。若さゆえの全能感もあったし、なんでもインターネットで調べて知ったつもりになって、それが誇らしかった私だったが、次の瞬間。

その高々と伸ばしたひどい鼻を学科長に容赦なく折られたのだった。



「おまえ、よく色んな地方の話をするよなあ?でもさ、それってインターネットで知ったことなんだって言ってたよな?携帯電話で知ったつもりになって、じゃあお前は知ってんのか?」



「例えばさあ、その街の坂のキツさとかさ、早朝の寒さとかさ、日差しの明るさだとかさ、空気の味だとかさ、そうそう、そこの飯の旨さだとかさあ、おまえさんはなあんにもしらねえんだ、そうだろ?」



「家を出ろ、外に出ろ、触れろ、おまえさんの言葉は空っぽだ。触れて、知って、やっと語れる。分かったな?」







なんでも知っているつもりだった私は、その瞬間何も知らないことに気付かされたのだった。

今ふと思うんだ、その鼻を折ってくれてありがとう、いつまでも何も知らないことすら知らずにいたかもしれない。
そして今なら言えるよ、朝焼け前の空気は冷たかった。春に行く長野にはまだ雪があった。蕎麦が美味しい。

だから。

いろいろなことをし続けていけたらいいと思うんだ。

触れて。

きちんと触れて。

真冬の怪物。

その獣、4つのあしを持ち、身体全てを口とし、夜な夜な通り過ぎる人を誘い込み、咥え、そして離さなかったという。民はその怪物を畏れていたがあるものがついにその怪物を倒し、村の中心にその怪物を象った偶像を飾り、墓と祭壇とした。

やがてその祭壇は怪物と同じように人を食い、人を食い、離れられない人を食い。奇妙なことに、食われる人はみな自らその身体を捧げに行っていた。
噛まれただけならば出るのもたやすいはずであったのに、なぜか人は幸せそうな顔をして離れない。
ゆえ、民は名付けた。

「あやつの名、拒脱と呼ぼうぞ。」

名はその偶像の存在を知らしめ、さらに食われる人は増えた。
もう誰も手をつけられないのである。

そのことはのちに伝説となり、その祭壇を小さくしたものはあらゆる家に置かれ、拒脱は訛り、コタツになったそうじゃ。



とまあ長々と存在しない歴史を語りました。

えっと冬のこたつって絶対怪物だと思うし、入ったが最後出られないし、あげくなんか魂を持ってかれた気になるし、そこで果てることも多々あるよね。こたつこわい。
そんなこたつの上に丁寧にみかんとか置いちゃうと余計出られないよね。あ、これ供物だよ多分。
つまりこれは信仰だし、そうなるとそこには神が宿って…と考え出したらこうなりました。

真冬のピークが去った。

クリスマスだとか正月だとか、少し浮かれた年末が過ぎ、成人式なんかも通り過ぎていったらしい。そうカレンダーが示してた。
それでもいまだに街は冬から抜け出さないままで続いていた。

そういえば引っ越してからは夕方の鐘を聴かない。

なんとなしに、去年と比べてしまって、違うことに少し寂しくなった。




なんだかよくばりだなって気付くんだ、満たされることの敷居ばかり高くなって幸せを取りこぼしそうになる。
変わらないでいるって言ったのに、変わってしまうらしい。どうも不器用だな。だから度々、きちんと掴んでいたいと思うのだけれど。

そんなとき、掴み直すための書架があれば、とまで言いかけてハッとした。

私たちには音楽があった。

聴いた音、声、そんなもの自分の感情を重ねて再生できたんだ。

再生ボタンに手をかけて、よみがえれ、心。