花の色と青い煙草

ダンス・ステップ・スラップスティック

思い煩う事なく咲く花の。


 

 3月は忙しかった。24になったし、久しぶりに長い髪を切りたくなったし、これからずっと仲良くするだろうとおもっていた人の連絡先を失ったりした、携帯電話をうっかりなくして、なんていうしょうもない理由で。
もともとそそっかしい私にはその手のトラブルなんて日常茶飯事のはずなんだけれど、今回ばかりはかなりおちこんでしまった。
いいこともあった。友人にギターのエフェクターを借りた。それでうれしくなって弾いてたらちょっとうまくなった。いっしょに歌ってたら音痴なりにちょっとは歌えるようになった。誕生日があったので誕生日プレゼントをもらった。かなり気に入ってる。それと、選んでくれた友人と共謀した。もともと悪戯を好むほうだから面白いことが続きそうな予感があるのはいいことだと思う。(酒飲みの友人には趣味が悪いと一蹴されたのですけれどそういうところも含めて楽しんでます。)
 この3月で仕事をはじめてからちょうど2年経つ。なんだろうねなんだろう、朝起きて仕事にゆき、そして帰る。そのことにも慣れあたりまえの日常になっている。あれだけ嫌がっていたけれど、いまはそのこともある程度は受容してるし「なんだかんだやっていけるからね」だなんて言葉もそうね、と受け取れる。ああ一年前この言葉をうまく受け入れられただろうかとおもった。恐れていたこと、怖がっていたことは多くあったけど、祈りながら何とかやっていってる。
祈り。むかし「それでも」という接続詞は祈りのようなものかもしれないと書いたっけか。さいきんは使い回された祈りばかりを口にして、自分の祈りも忘れかけていた。自分がどういうことをしてきて、どんな結果が待ち受けているのか。たとえ知っていたとして、いつもどおりうまくいかないとして、それでなにもしないわけにはいかなくて。時々その繰り返しでなんか届いちゃったりするもんだから楽しいほうがいい、面白いほうがいいと祈ってたほうが報われる気がする。

 

 散文ふたつめ。

 

 人のつながりって結構たよりないものなんですね。たとえば友人の紹介とかでつながった縁はそこをたどればいつかはまた出会えたりはするかもしれないですけれど、偶然出会ってそれで連絡先を交換してしゃべって仲良くなって、でも携帯電話を失くしたらそれも泡沫のごとく。バックアップを取らなかったとか、そもそもうっかり失くしちゃうとか、あまりにも情けないと思うんですけれど、結構落ち込んでしまいました。既読のつかないメッセージを見てあの人は何を思うんだろう、申し訳ないな、二度と会えないなら死んでしまったのと同じようなことだしなおさら悲しいだろうな。
それから落ち着きのない私の頭はぐるぐるとかんがえてしまった。すきな映画の台詞に「一度あったことは忘れないもんさ」ってあって時々このことをおもいだしたり、あるいは遠い未来にいつかまた偶然出会うのかなとかそんな都合よくできてはいないとか、あるいはまだ見てない「リメンバーミー」について思いをはせたり(早く見に行かなきゃなって思ってる)忘れないでといえばこの前見たミュージカルに凍らせてよって歌詞があってエンディングっぽいなあ、写真に残すみたい。シャッターは時間を凍らせるんだよって聞いたことがあるから。そんな風にさまざまなリスが通り過ぎていって気を取られて、それからやっぱりこのことは悲しいしせめて祈るしかないなって思ったのでした。なんの話をしていたっけ、携帯はもう失くさないようにします。それと喋れる場所は多いほうがいい。

 

 散文みっつめ。

 

 トーキョーの地下鉄を乗り換える時だとか仕事の帰りにご飯を食べていたりする時にふとそこで一緒にいた人をおもいだしたりしていた。まだ私が子供だった頃に過ごした日々のこと。夜な夜なみんなで集まってはいろいろなことを喋って考えて鍋をつついて、そんな日のことをふとおもいだした。それはいつも友人の家の中の出来事で、だからあの場所を作ってくれた、開いていたことをとてもとても感謝している。思春期だった私にはものすごく強い影響があったし、今の私にも色濃く残っている。もしなかったら今頃なにをしているのだろう。わからない、でも、寂しいものだろうな。
そうそうみんな今はなにをしているのかな、だとか。また会えればいい。そう思います。

 


 そういえば葉桜が綺麗です。ぼんやり眺めて、綺麗だなと思いました。同じ桜を見ていたらいいな。