誰かがいった。

そうじゃなくて私が言った日常の何か。

風切り羽とロマンス

愛だとか恋だとかが大っ嫌いで、そして大好きである。

 

 

恋愛感情は往々にしてその関係を狭めて、限りあるものにして、時として切り裂いてしまう。

 

そうせざるをえないほどの感情を自身も持っていて、つい誰かを縛ろうとしたり、自身を狭めてしまったりを繰り返していた。

それが痛ましくて、嫌いでいて。

 

 

それと同時に、私は恋、愛に浮かれてしまう凡庸な人なのでもあった。

 

人を好いてしまうし、恋に恋をするし、誰かの為に強くなりたいと願ったりもするし、愛し愛されたいし、そのことに前向きに生きようとしちゃう。

その誰かを消費したくないし、その誰かが消費されてほしくもないし、その想いで思春期真っ盛りになるくらいには恋愛って呼ばれるものが好きだったりするのであった。

 

ベッドで脚をバタバタさせながら携帯を握るような人にだってなってしまったのかもしれない(とても恥ずかしいけれど。)

 

 

 

いろんな考えや価値観がない混ぜになって局所的にはバラバラな現実の私は、それでも大きく目指したい方向がある。

恋愛に対する答えはいつになっても出ないし、どう想えば楽なのかも、なにが恋愛かすらも分からない。

 

その中でアンビバレンスなことを願いたかったし、願ってる。

 

「自由でいて、可能性を探す。」

 

恋愛したり付き合ったりして二人の世界を作ったりだとかに憧れはするのだけれど、それよりもお互いが自由で可能性にあふれていて欲しい。

それでいて、お互いがお互いを特別としていられる関係性を保つことに何よりも羨望して止まないの。

 

お互いに好きであるように願って恋愛劇に付き合ってる間は、その本心が分からずとも役者であることを分かりながら続けるし、脚本を書き足しながら続けていくし、役にはまったり劇でなくなったりするのと同じくらい、それは役者だったり劇だったりする。

(それは時に情熱的で美しかったりしてよかったりもするのだけれど。)

 

でももしその約束なんてなく、それでも一緒に過ごせたら。

役者じゃなくて誰かと触れ合えたなら。

 

好きである必要も一緒である必要もなくて、それなのにいてくれたりいようとしたりしたらなんて強いものなのだろうと何度も思ったりしてるんです。

恋愛感情とかなくなってしまえば、とすら。

 

 それは矛盾だけれど、いつかそのままその矛盾すらも自然に過ごせる日までこのことを柔らかく抱えていよう。

 

 

鳥籠から放った鳥が帰ってきたらそれは愛なんだって。