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誰かがいった。

そうじゃなくて私が言った日常の何か。

雑記を推敲もせずに置いときました。

声が聞こえてしまう事って自分が思ってるよりも悲劇なのかもしれない。



教室でいつもわいわいがやがややってる人、そこまで騒がしくなくともいつも同じメンバーで小さな居場所を作ってる人、そして端っこで体育すわりをする人。

今までそんな教室に漂う声をお互い知りようがなかった。
私もあなたも触れ合うことなくただ他の場所で生きる二人だったと思う。
そんなのは数え切れなくある。

だけれども、今この場所ではその全員の声が聞こえてしまう。大きく騒ぐ人も、ひざを抱えて拗ねる人も、同じ場所に立ってしまって、会話する事も、喧嘩する事も、それはあまりにもたやすい事になってしまった。
それが喜劇であり、悲劇でもあった。



 そういった場所の多くは、趣味とかが違ったとしても、共有できる空気感で繋がっていたけれども、それがあまり大きな影響を持たなくなった場所では趣味だけで繋がる、別の場所の人と繋がってしまう。同じ教室にいたら話さなかった人の声が聞こえる、お互いが遠くにあったはずなのに近いと思って仲良くなって、その場所の違いに気づかず、仲を違う。

 それを経験して、その先同じような空気を持てる人を探すようになる。
それって教室で趣味や考えの合わないけどお互いに過ごしやすい人と友人になる過程に似通っているように見えて。


 インターネットは友人の関係の幅をもたらしてはくれないのかもしれないね。 


ただ教室で一人でいた人が他にもいることを知れる、そしてお互いの言い分に削れて住み分けられない事に心を痛めてしまうこともあって、結局はそのことを意識できるかどうかだと思う。

声が聞こえること、その声でコミュニケーションできない人にとって、それで一人でいた人にとって、悲劇なのかもしれない。
そんな人に声をかけて遊ぼうという人にも、その声を跳ね除ける人も誰も悪くはないと思うのだけれど。
SNSだって万能じゃないよな、とか。

結局何かがいいたかったわけでもないんだけど「どうせ俺はぼっち」って言いたい人とウェーイしようぜ、とかいっちゃう人が同じ場所に出くわしてうっかり仲良くなっちゃって、ってことがありきたりにあるよね。

 そこで乗りたくないなら別に乗らなくてもいいし、乗りたければ乗ればいいし、そのことに自分が納得してるならそれが最も良い事だとは思うんだけど、こういった場所で出会っちゃって選択できる環境になった上でぶつくさ文句ばかり垂れる人があまり好きではないな、とか。

 結局それってSNSの意味がないよね、だってどちらかを選べる環境になったんだもの。
その上で更に文句をいいたい人の声が聞こえて住み分けられずにいること、結構悲しい事かもしれないといまさらになって思う。

 いろんな人と知り合えるのがネットじゃなくて似たような人を効率よく探せて仲良くなっちゃうのがここなんだわな。頼りすぎて盲目になりたくないけどやっぱり居心地は良くて好きだな、どう付き合っていこうか。