誰かがいった。

そうじゃなくて私が言った日常の何か。

一人への希求。

誰かと一緒に居なければならないというような空気、一人でいることはよくないというもの、そんな規範と、その裏返しの一人こそがよいというアンチテーゼ、どちらも私は好きじゃない。
そして、なによりそういう人の言う「孤独」が一番理解できないものなのだった。

過去形にしているけれど、今も分からないでいる。

それは最初から孤独というものではなかったからと今は思う。
その在り方に付ける名前には孤立という、孤独と違うものが最初からあった。


さて。


一人でいることも、笑い合う友人の輪に自分を溶かして紛らわすことも、どちらも大切であるように感じるし、どちらも同じ孤独として変わらないものと信じている。



けれど孤独は決して「どうせ」などと言って周りに当てつける類のものではないと言いたい。



他の人に触れるたびに私と違うこと、私の触れたものの輪郭を私しか感じられないこと、他人のそれと同じであるかわからないこと。

日常の会話に潜む心地よい不理解、なんとなくだべっていた友人と食い違う会話、その中で見出してゆく感覚の違い。



孤独とは私が私だけしかいない事を確認して感じるものかもしれない。



相対化で無力にしたい訳じゃない、けれどあえて言い切るなら孤独はみんなが持ち合わせるものとして、ある。
だから他人と過ごすことも孤独である事も同じ場所に共存するんじゃないかしら。

それは私としてあなたに触れられるし、あなたはあなたのまま私と触れられるし、お互いを尊重できる快い関係でいれる事に繋がる。


孤独は忌み嫌うものではないよ、もっと丁寧にその言葉をつかっておくれ。


一人ではなく、独りへの希求をここに。