花の色と青い煙草

ダンス・ステップ・スラップスティック

人と人ってなんだろうね。

Twitterでポリアモリーについてボソッと呟いたら「理解できない」って言われた。
だからすこし言葉を尽くそうとしてみたら遊び人と片付けられた、ことについて、すこし寂しくなってしまった。
人の好意って恋愛感情しかないような貧しいものだっけ、とか考えてしまって。



以前のエントリーでポリーラウンジの感想とちょっとだけの何かを語っていたと思うんだけれど、本当はそれだけじゃなくてもっと書いてみたいことがあった。でもそれは別にポリアモリーだとか恋愛とか、そんな枠に押し込める話じゃないように思えて、語ることでその話が別の物語になりそうで、怖かった。

でもそろそろ書かないといけない気がしたので今、必死に絞り出してる。


繰り返し言いたいのは、これからの話はポリアモリーの話だとかモノアモリーの話みたいな限られた話でもないし、恋愛とかについての話ですらもないし、人間が二人いたら成り立つ話として読んでほしい、です。




考え始めたきっかけは、恋愛関係で独り占めしたいって話からだった。
私は十数ヶ月前、ある人と付き合っていた。当時付き合ってた人はあなただけをみたいし、私だけをみていてほしいって言う人だった。
それでも別によかったのだけれど、ただふと思ったことがあった。
それが嫉妬からくるものだとして、じゃあどこまで嫉妬するのだろうか、それと、他の人がいたところで私とあなたの間にあるのは常に二人だけの関係で、他の関係があったからといってそれで奪われるものじゃないよね、だった。

たとえばあの趣味についてだったらあの人、この趣味についてだったらこの人、みたいにそれぞれ話せる人、考える人って選んでしまうことは誰しもあることだと思うし、同じように好意ってぼんやりしたものを多くの人にもっていて、一人に絞ることなんて難しかった。
だからこそ、その人に求める役割、みたいなものが自然にできていって、代え難いものになっていくのだった。

そうすると、全部別方向の好意になるんだけれど、時としてそれは恋人に向ける好意よりもたやすく強さを増すことがあった。それについて嫉妬されたりするのだと思うのだけれど、困ったことに恋人への好意はその人には向けられないし、その人に向ける好意も恋人に向けられなかった。
早い話が「あなたはその人じゃないし、その人もあなたじゃない」という簡単なことだったのである。
だからいつだって二人の間にある関係にあるのはその二人で、他の関係に奪われるものではないはずだった。

それを恋人だから奪えるわけじゃないのよ。

そこで思ったことが、別に恋人を一人に限る必要もないし、恋人が好きな人、付き合う人も一人じゃなくていいんだよね、ということ。
方向の違う好意みたいな、その人だから好き、みたいなものがあるなら、どうしてもそれって比べられないし、仕方ないじゃないって。
そこで私はびっくりするくらい楽になった。
好きな人が誰を好いていても、それが無くなったから私が好かれるわけでもないって簡単なことにここにきてやっと受け入れられるようになり、好きな人に対して真っ直ぐな好意を持てるようになった。


それは恋人だからって名前が付いても、全ての友人と対等にあるってことへの気付きももたらすことになった。
恋人とて、そう約束した関係があるだけで、もし友人と掛け替えのない約束を結んだら、それは同じ重みになる。
そして友人だからこそ持てる信頼関係があったとしたら。
恋愛感情はなにも約束してはくれないのです。

だから。

恋愛感情も友情も、どちらが上ってこともないと思うし、二人の間にある信頼関係が重要で、別に信頼って一人に向けるものでもないよね、だから人にどう向き合っているかが重要なんじゃないかな。
付き合うって言葉だって明確に約束した中身がなければ意味ないし。

えっと、なんか話が散らばってしまったんだけど。

言いたかったのは恋人も友人も等しくて、それぞれ掛け替えのない好意ってものがあって、恋愛に関係なく信頼は作られていって、独り占めなんてのも難しくて、だから他と比べても苦しいだけで、せめて相手ときちんと向き合って、お互いが心地よいものを探そうよって。

それがたぶんなによりもいいものを作るし、満たされていくと思うから。