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誰かがいった。

そうじゃなくて私が言った日常の何か。

淡桃去って緑。

場違いの雪と桜に写真機。

散って春、茂って春。

さて数日前。春の桜、なぜか雪化粧をして佇んでいたと聞きます。淡いあの色彩に重ねた無彩色が見せてくれた端麗な姿を私自身は見ることが出来ないでいましたけれど、切り取られたそれを見る機会には恵まれていて日付も変わらないうちに私のなかに焼き増しされていました。
されど気付いたら上着もなく家を飛び出せる陽気だし、外に置いた飲み物は冷えてくれなくなってる。
鎖骨の先まであった長い髪を久しぶりに切り落としたし、その変化は新しくなった気分を呼び起こして心身ともに春を迎えている。

ああ、春だ。

冬が終わってしまったことが寂しくはあるのだけれど、どの季節だってそう言ってる気がするし、もしかしたらいつだって僕らは誰にも邪魔されず寂しさを抱えてるのかもしれない。ワールズエンド・スーパーノヴァ
春を言い訳にします。夏を言い訳にします。秋を言い訳にします。冬を言い訳にします。
でもあなたを言い訳にしたくないな、居てくれたら嬉しい、それですべてにしておきたい。

茂って春、新緑です。

もう話題も散らばってしまってるし書きたいことを勝手につらつらとしていきますね。

ずっと身体の居場所を意識させることをしたくなかったな、と思うことがある。
たとえばこのブログだったり、身体を置き去ってただ言葉だけ遺しているような姿になりたくて、身体のない姿になりたくて、できるだけ身体を持っていることに触れないようにしていたりするし、すぐにそうしてしまう。髪を切ったことを書くことすら躊躇ってしまった。
もしかしたらわたしはお化けなのかもしれない。地に着く脚を失いたいのかもしれない。
それは尖鋭した思考に表れるのか、文字しか見ていない人は私が在るか分からなかったそうだし、会っても目の前の身体を私と思えなかったと言っていた。
尤も、その人も同じように在るか分からない人であったのだけれど。

だからこそ身体を取り戻せと言いたくなる時もあるし、どちらも同じ事なんだろうね。身体性への言及ですし。

なんとなく書きたいことはこの事だった気がするし、書き終わってしまったし、普段より書いてる人の存在、みたいなものが強く出てきてしまったけれど、おしまい。

子供の時間

She said.

「大人になったら、真っ赤なりんごをウサギにすることも
金木犀の香りに気づくことも、
イチョウの葉と踊る事も、
四つ葉のクローバー探しも、
夏空の入道雲の形が面白いことの発見も、
キラキラおひさまにあいさつしたあとの目の裏のおひさまも、忘れてしまう。
そんな世界つまらない。」

I said.

「僕は大人だから、こんな魔法が使えるのさ!と言いながら作る赤と黄色のうさぎ。
この香りは金木犀さ。
そうだ、落ち葉を拾って焼き芋をしようか、火は僕が見る。
四つ葉の意味を知ってるかい?
あの入道雲、何に見える?
そうだ、影写しという遊びをしよう!」



大人になって、人に成って、そうやって伝えていきたいって言っていた。
そんなあの子ももう成人したし、だんだんと大人という生き物になってゆくのだろう。
それがどういうことなのかは未だによくわからないけれど、悪いことではないと思うんだ。

人に成るというむずかしさは。


夢を喰う人

今朝濃密な夢を見た、いや、多分濃密な夢なんてものはよく見てるのかもしれない。だけれど夢の多くは泡沫のように起きたら消えてゆき、気付けばただ寝ていたことだけが残る。

人の夢と書いて儚いと読む。それは紛れもない事実でしょう、こうやって身体はその儚さを覚えてはくれない。
もしも、今生きてるこの一瞬、生きていたあのとき、それらも全て夢だったら、と思うと時々あまりにも恐ろしくなる。
起きたら忘れるのだろうか、もあるし、全て実在しなかったのだろうか、とも震えるし。夢。そう思うともう、化け物のように思えてならなかった。私はそれが現実に在るものと知るために、手に残る感覚を、耳に残る音を、舌に残る味を、目を通り抜けた光を、鼻に残る香りを信じたい。


夢とは叶わないものなのでしょうか、消えるものなのでしょうか、願望なのでしょうか。

流行りものに乗ってしまうこと。

エイプリルフールです。

なにかこういう日に託つけて、意味もなく騒ぎたくなる人なので、とかく祭りとあらばじっとできない。

毎年、今年はこうしたかったな、来年やろうといっては忘れ、と毎年繰り返すのだ、いつだって。

その日が特別だから思い出せるし、楽しんでしまえる。

忘れたくないな、そこにあったことを。

境界線に触れて識るあなたの輪郭。

実は自分から人に触れられない病を抱えて生きている。


その病はどんな関係性を相手にしても表れてしまうしキスはおろか肩に触れることすら戸惑う。握手やハグ以上はどうしても気を遣ってしまうし、触れていいか聞くだけでも戸惑ってしまうのであった。

昔は経験のなさがそれを生むのだと思っていたけれど、そうではなくて私自身の性質のような気がしてきた。
受け入れてもらえないこと、嫌われないことが怖いとかではなく、なんだろう、他人に侵食することへの畏れといえばいいか。
だから触れたいなーとおもいつつ別に触れることはしないし本を読んだり好きなことをしてるし、べつにその事にぐるぐる悩んだりはしない、そこは私の悩むところではないだろうから。
けれどこうやって言葉にしたいときもあるのだった。


つまるところ私が人に触れる時はその相手に最大限の敬意を払って触れているし、これからもそうやって触れていこうと思う。

北に行った。

想いを寄せてる人に会うために、雪国に訪れた。
都会では桜が咲いていたのに、山を越えてつく頃には吹雪いていて、その差に驚いていた。
帰り際に聞いた話では梅がやっと満開らしい。
寒い場所です。

サラサラと気持ちのいい寒さは春の陽気に浮かれた私を引き締め、身体の在処を意識させてくれる。
隣には想い人。
うん、素敵な日々だったなって思います。




シェアごはん。

私は実家暮らしだけれど、よく食事を作る。
自分のためにご飯を作ることもあるし、誰かのためにご飯を作ることも多くある。
その時間がとても好きになった。

私がご飯を作る、みんなが待つ、湯気立つ。
リズミカルな包丁、はじける油、焼ける音。

出来上がったごはんをテーブルに置いて、いただきます、というあの瞬間が尊いことを、人のために作って初めて知った。
その瞬間そこには家族がいた、家族になっていた。

あの日の母に私はなるんだね。